2026年7月、Shopifyの公式イベント「DotDev 2026」がカナダ・トロントで開催されました。WEBLIFE代表取締役の山岡も現地に参加し、セッションや参加者との懇談を通じて多くの示唆を得ています。
今回は、「セキュリティ、Quiet Tech、複雑な組織構造から読み解くエンタープライズECの現在」と題したセッションで語られた内容をもとに、多くのラグジュアリーブランドがなぜShopifyを選び始めているのか、その背景にあるQuiet Techという考え方と、エンタープライズコマースの現在地をレポートします。
AI経由の購入体験が急成長している実態と、AIに選ばれるECサイトをつくるための土台づくりについて解説したレポート第一弾はこちら
AIによって進化したShopifyアプリや人の働き方について解説したレポート第二弾はこちら
ラグジュアリーブランドのEC課題はセキュリティとガバナンス
ラグジュアリーブランドとは、高い価格帯とブランド価値そのものを商品として提供するファッション・ジュエリー・化粧品などのメゾンを指します。こうしたブランドのECサイト構築で最初に問われるのはデザインではありません。セキュリティ、コンプライアンス、ITガバナンスといった、目に見えない基盤の話です。
ラグジュアリーブランドは、顧客情報や決済情報の扱いに極めて厳格な基準を持っています。グループ本社のセキュリティ要件、地域ごとのデータ保護規制、既存の基幹システムとの接続要件など、確認すべき項目は多岐にわたります。華やかなブランド体験の裏側には、堅牢なインフラが不可欠だという前提があるのです。
こうした基準をクリアできて初めて、デザインや体験の話に進めます。ラグジュアリーブランドのEC構築を検討する際は、この順序を理解しておくことが重要です。
Quiet Techとは?ラグジュアリーブランドとShopifyの相性
ラグジュアリー業界には、伝統を重視するブランドはテクノロジーに保守的だという根強い誤解がありますが、実際には多くのラグジュアリーブランドが積極的に新しい技術へ投資しており、Quiet Techと表現される考え方に基づいています。
Quiet Luxuryがロゴや派手さを前面に出さず、素材や仕立てによって価値を伝えるように、Quiet Techもまた技術そのものを目立たせません。顧客に心地よいブランド体験を提供する裏側では、顧客データ、在庫、決済、店舗、物流、AIなど、さまざまなテクノロジーが静かに連携しています。
多くの大手企業がイノベーション部門や研究開発組織を持ち、スタートアップとの連携や新技術の検証を進めており、ブランドの世界観を壊さない形で、巧妙にテクノロジーを取り込んでいるのです。
この考え方は、ラグジュアリーブランドに限った話ではありません。優れたAI活用ほど、顧客はAIの存在を意識しなくなるという点で、これからのAI活用全般にもそのまま当てはまります。AIが目立つのではなく、AIによって顧客体験が自然に向上している状態を目指すことが、Quiet Techの本質だといえます。
Shopifyはどこまでエンタープライズ案件に対応できるのか
かつて、Shopifyは中小企業向けのプラットフォームではないかという印象を持たれていた時期もありましたが、現在のShopifyは、複数ブランド、複数国、多言語、多通貨、店舗、B2Bなどを含む複雑なビジネスにも対応できるプラットフォームへ進化しています。
現在問われているのは、Shopifyでエンタープライズ案件ができるかではなく、Shopifyを使って、複雑な企業要件をどのように設計するかへと議論が移りつつあります。
約1,700店舗のPOSを一元管理するKering Beautyの事例
フランスのラグジュアリーグループ「ケリング」が設立し、2026年3月にL’Oréalが買収したビューティ事業のKering Beautyでは、約1,700店舗のPOS、複数のD2Cサイト、複数言語、複数通貨、B2Bなど、幅広い領域でShopifyが活用されています。
これは、Shopifyが単なるEC構築ツールではなく、グローバル企業のコマース基盤として採用され始めていることを示しています。ECサイトだけでなく、実店舗のPOSまで一つのプラットフォームに集約できる点は、複数ブランド・複数国を抱える企業にとって大きな意味を持ちます。
システムが分散していれば、在庫や顧客データも分断されがちです。Kering Beautyの事例は、店舗とECを一体で管理する基盤としてShopifyが選ばれ始めていることを裏付けています。

ShopifyはECサイトデザインの自由度が低いという誤解
もう一つよく聞かれるのが、Shopifyで作ると、どのサイトも同じようなデザインになるのではないかという懸念です。これも、実際のShopifyテーマやフロントエンドは高い自由度を持ち、標準機能で不足する部分については、アプリや外部サービス、独自開発によって拡張できます。
重要なのは、Shopifyをそのまま使うことではなく、ブランドの要件に合わせて、どの領域を標準機能で構築し、どこを外部システムやカスタム開発で補完するかを設計することです。ラグジュアリーブランドが求めているのは、プラットフォームの存在を感じさせない体験です。顧客から見えるのはブランドの世界観であり、Shopifyそのものではありません。
ECプラットフォームからコマースOSへ進化したShopify
Shopifyの戦略についても、大きな議論が行われました。Shopifyはもともと、SMBや小規模事業者向けのECプラットフォームとして成長しました。その後、Shopify Plusを中心にエンタープライズ市場へ進出し、大企業向けの機能を強化してきました。最近では、Plus向けに提供されていた機能の一部が、より下位のプランにも展開されています。
この動きは、振り子ではなく、潮の満ち引きに近いと表現されていました。ShopifyはSMBを捨ててエンタープライズへ移行したわけではなく、エンタープライズ領域で得た機能や技術を、再び幅広いマーチャントへ広げているのです。Shopify Plusについて、詳しくは下記の記事をご覧ください。
さらにShopifyは、単なるECプラットフォームではなく、B2C、B2B、POS、決済、会員管理、チケット販売、在庫、顧客データなどをつなぐ、コマース全体のオペレーティングシステムへと進化しています。オーストラリアの大規模なスポーツクラブを例に、Shopifyが物販だけでなく、会員管理やチケット販売にも利用されている事例も紹介されました。Shopifyを、ECサイトをつくるためのサービスとして見るだけでは、今後の可能性を捉えきれません。
Shopify標準機能と外部システムの使い分け方
ShopifyでのECサイトの設計において重要となるのが、どこまでShopifyの標準機能を使い、どこから外部システムを使うべきかというものです。この問いに一つの正解はありません。重要なのは、Shopifyを最大限使うことでも、すべてをカスタム開発することでもなく、ブランドにとって最も合理的な構成を選ぶことです。
PIM・ERP・SAPとの役割分担
たとえば、フロントエンドや販売機能はShopifyで管理し、商品情報や財務情報は既存のPIMやERPで管理した方がよい場合があります。SAPなどの基幹システム側で制御したいプロセスがあるなら、無理にShopifyへ移す必要はありません。
こうした判断は、単なる技術選定ではなく、社内の業務フローや組織体制とも密接に関わります。長年運用してきた基幹システムには、財務報告や在庫管理のルールが深く組み込まれているケースも多く、それらを無理に置き換えようとすると、かえって現場の混乱を招きかねません。
必要なのは、プラットフォームへの忠誠ではなく、ブランドの事業、運用、セキュリティ、将来性を踏まえた設計判断です。
データの所有権を、どこまで自社で確保するか
外部アプリやSaaSを利用すると、データを預けてしまい自社でコントロールできなくなるのではないか、という懸念を持つ企業もあります。
特にエンタープライズ領域で確認すべきなのは、データの所有権が誰にあるか、API経由でどこまでデータを取得・連携できるか、必要なデータをエクスポートできるか、そしてサービスの変更や終了時にどう備えるかといった具体的な設計です。
顧客データや商品データは、ブランドにとって長期的な資産です。だからこそ、導入前にAPIやエクスポートの仕様を確認し、将来的な移行や連携も見据えて設計することが重要になります。標準機能・外部アプリ・カスタム開発のどれか一つが正解なのではなく、ブランドごとに最適な配分とデータの持ち方を見極めることが求められます。
Shopify導入はスモールスタートから始められる
大規模なラグジュアリーブランドのEC構築でも、最初から全体刷新を目指す必要はありません。
グローバル企業は、複数のブランド、国、倉庫、システム、代理店を抱えています。すべてが完璧に連携しているケースは少なく、どこかに必ず不具合や非効率が存在します。特定地域だけ在庫連携が遅い、店舗とECの顧客データが分断されている、既存システムではAI活用が難しい、といった問題です。
AIの急速な進化や市場の変化に対応するには、1年単位ではなく3年ほどの時間軸で事業設計を行い、実装、運用、分析、再設計、拡張というサイクルを繰り返すことが求められます。小さく始めることと、じっくり育てることは、セットで考える必要があります。
小さな課題から始めるアプローチ
全社的な刷新を目指す必要はありません。まずは一つの国、一つのブランド、一つの機能だけを担当し、そこで成果を出すことで、徐々に範囲を広げていきます。
Shopifyなら、ECの売上規模が大きくなった際もスムーズにプランをアップグレードでき、ゼロから作り直す必要はありません。各プランについて、詳しくは下記の記事をご覧ください。
国内・海外・B2BのECを段階的に拡大したKINTOの事例
テーブルウェアなどを手がけるライフスタイルブランドKINTOも、こうした段階的な導入でShopifyの活用範囲を広げてきた企業の一つです。BiNDecのサポートのもと、2018年の欧州向けサイト立ち上げから、スモールスタートで拡張していくアプローチを8年ほど継続しており、その後、日本国内のECサイトやB2Bサイトへと段階的に移行していきました。現在では日本・アメリカ・欧州・イギリスの4拠点で直営ECを展開し、D2Cで28カ国、B2Bで24カ国へ配送エリアを広げています。
いきなり全体を作り直すのではなく、一つの地域・領域で実績を積み、その成果をもとに展開範囲を広げていく。この進め方は、複雑な組織や複数ブランドを抱えるエンタープライズ企業にとっても、現実的な選択肢になります。
KINTOのEC事例について、詳しくは下記の記事をご覧ください。
ECと実店舗を横断した収益性へ
ECサイトの価値は、オンライン売上の金額だけでは測れません。ブランド体験の提供、商品検索のしやすさ、来店前の比較検討、実店舗への送客、店舗在庫のオンライン確認、購入後のアフターサービス提供など、ECサイトが果たす役割は、売上以外の場所にも数多く存在します。
特にラグジュアリー業界では、EC単体の売上比率が小さくても、実店舗への送客やブランド認知への貢献度は決して小さくありません。だからこそ、評価すべきなのはオンライン単体の指標ではなく、EC・実店舗を横断した収益性です。獲得コストの回収や貢献利益、顧客の生涯価値(LTV)といった指標も、EC単体ではなく、実店舗を含めた顧客体験全体で捉える必要があります。
Shopifyが提供するのは機能ではなくインフラ
ShopifyのCEOであるTobi Lütke氏は、Shopify創業期からのパートナー戦略について次のように語っています。
すべての人へすべての機能を提供しようとするソフトウェアは、結局誰にとっても使いづらいものになりがちです。しかし、多様な事業者を支えるには、多くの機能が必要になります。この矛盾に対するShopifyの答えが、機能ではなくインフラをつくるという方針です。
インフラは、ほかの機能やサービスと組み合わせることができます。優れたインフラをつくれば、その上に別の開発者が新しい機能をつくり、それらをさらに組み合わせられる。価値が積み重なり、時間とともに増幅していくという考え方です。
Shopifyは、多くの事業者が共通して必要とする基盤を提供します。一方、個別の業界や商習慣、ブランド体験に合わせた部分は、課題に近いパートナーが担う。この分業こそが、Shopifyエコシステムの強さです。
「10倍安く、10倍簡単」が変化を生む条件
Tobi氏は、テクノロジーによって世界が大きく変わる条件を、三つに整理しました。
- 以前は非常に高価だったものが10倍安くなる
- 以前は非常に難しかったものが10倍簡単になる
- 以前は不可能だったものが可能になる
この三つが同時に起きるとき、世界は大きく変わるといいます。ソフトウェア開発、分析、検索、自動化、デザイン、コンテンツ制作など、これまで専門知識や大きなコストが必要だった作業が、AIによって急速に身近になっています。過去に高価・困難だったものが、10倍安く10倍簡単になるという条件は、AIの分野で今まさに同時に起きている変化だと言えます。
インフラの上でパートナーが体験をつくる仕組み
Shopifyというインフラの上で、実際にブランドごとの体験をつくり込むのがパートナーの役割です。Shopifyが決済、セキュリティ、多言語・多通貨対応、在庫管理といった共通基盤を提供する一方、業界特有の商習慣やブランドの世界観に合わせたUI/UX設計、既存システムとの連携、運用フローの最適化は、パートナーが担います。
この分業がうまく機能しているからこそ、Shopifyは一つのプラットフォームでありながら、ラグジュアリーからD2C、B2Bまで幅広い事業者に対応できています。インフラを整えるのがShopify、そのインフラの上で価値を形にするのがパートナーという役割分担が、エコシステム全体の拡張性を支えています。Shopifyパートナーについて、詳しくは下記の資料をご覧ください。
エンタープライズコマースのShopify導入で問われるのは設計力
ラグジュアリーブランドがShopifyを選ぶ理由は、単に機能が豊富だからではありません。セキュリティやガバナンスへの対応力、Quiet Techという思想との親和性、コマースOSとしての拡張性、そして小さく始められる柔軟性。こうした要素が組み合わさり、エンタープライズ規模の要件にも応えられる基盤として選ばれ始めています。
AIによって誰もがコードを書け、ECサイトをつくれる時代になっても、蓄積されたデータ、経験に基づくセンスと洞察、業界内で築いてきた信頼は簡単には複製できません。これらは、AIではなく、長年その領域に向き合ってきたパートナーだからこそ提供できる価値です。
BiNDecは、Shopifyの標準機能と外部システムの使い分け、データの所有権設計、実店舗との連携、そしてAIの正しい役割まで、企業全体のIT・業務構造を踏まえて設計することを軸にしています。Shopify Platinumパートナーとして、こうした設計力とEC運用の知見を数多くのブランドに提供してきました。エンタープライズ規模のShopify導入や、複雑な要件を抱えるECサイトの構築について、まずはお気軽にご相談ください。




